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| 関連情報 |
「PTSD」「性犯罪被害」「少年犯罪の心理分析」「子供をいじめる」「キレる」 |
| 権威への 服従 |
ミルグラムのアイヒマン実験 「第二次世界大戦中、ヨーロッパでは約600万人のユダヤ人が強制収容所で虐殺された。1960年、当時ゲシュタポのユダヤ課長であったアドルフ・アイヒマンは亡命先の南米ブエノスアイレスで逮捕され、イスラエルで裁判を受けた。 判決は死刑。そして1962年5月に、刑は執行された。 彼は裁判中「私はただ上官の命令に従っただけだ」と一貫して主張し続けた。法律的にはともかく、心理学的には、彼の主張には一片の真理があった。 それを示したのがミルグラムの実験である。 ミルグラムは新聞を通じて「記憶に及ぼす罰の効果」に関する実験に参加してくれる被験者を募った。被験者はごく平凡な市民である。 実験は、 2人の被験者が実験室にやってくると、それぞれ生徒と教師の役を指定させた。 生徒役はイスに縛り付けられ、手首に電気ショックを送るための電極が取り付けられた。 一方、教師役は隣の部屋でショック送電器を操作するように言われた。 送電器には30個のスイッチがあり、それぞれ電圧と電圧に対するショックの強さが前もって表示されていた。 実験は生徒役に対連合学習を行わせ、生徒役が誤った答えを出すたびに、一段づつ強いショックを与えるように教師役に要請した。 この実験で生徒役になったのは実は実験協力者であり、それぞれの強さに応じて痛がったり、実験の中止を訴える演技をするように指示されていた。また、実験者は教師役がショックを送ることをためらった時には、実験のためにショックを送り続けるように要請した。 常識的に考えればたとえ、実験のためとはいえ、200ボルト以上のショックを与えることは人を傷つける恐れがあり、人道的にためらわれるところであろう。ところが、実際には教師役になった被験者の62.5%が最大450ボルトのショックまで与え続けたのである。 この結果は、 平凡な一般市民であっても、権威ある者からの命令に接すると、たとえ、不合理な命令であろうと、みずからの常識的な判断を放棄して、その命令に服従してしまうことを示している。 オーム真理教のサリン事件も同様である。 また、日本人は、権威に弱いので、日本人を対象に実験すれば数値はさらに上がる可能性がある。 |
| 賠償 | 8800万円 静岡県長泉町の男子高校生(当時16)が自殺したのは中学時代の同級生から恐喝や暴行などのいじめを受けたためだとして、高校生の両親が元同級生でいずれも20歳の男性2人とその親の計4人に約1億1000万円の賠償を求めた訴訟の判決が18日、静岡地裁沼津支部であった。高橋祥子裁判長は原告側の請求をほぼ認め、4人に総額約8000万円の支払いを命じた。 判決理由で高橋裁判長は 「計り知れない苦痛を受けた被害者の悲惨な状況を考えれば、極度の恐怖心から自殺を選ぶことは予見可能であった」と指摘。 「おとなしい性格につけ込んで恐喝行為を繰り返した末に自殺という結果が生じた」と恐喝行為と自殺の因果関係を認めた。 自殺した高校生に対する恐喝行為を知らなかったとされる2人の親について「自殺まで予見不可能で、監督義務違反と自殺に因果関係は無い」としたが、「恐喝、暴行の不法行為は親が十分指導すれば回避できたはずで、過失があった」と責任を一部認定した。 また「恐喝行為は極めて悪質で、被害者に過失はない」と自殺による過失相殺はゼロとした。 判決によると、2人は1997年2月、高校生を脅し、金を貸したように見せかけ、高校生の父親から15万円を受け取った。さらに10万円を要求。同年4月に木刀などで高校生を殴り、鼻の骨を折るなどのケガをさせた。金策に困った高校生は同年13日、恐喝から解放された約1時間後に「親からもうお金なんてとれません」などと書いた遺書を残し、自宅で首吊り自殺を図り。死亡した。 |
| いじめ 言 い 返 す 言 葉 覚 え 強 く な る |
「小学4年生の女の子が友達を突き倒し、大けがをさせてしまった“事件”があった。 彼女はクラスの中でいじめにあっていた。 「のろい」 「一緒に遊んでもつまらない」 「うざったい」 というのがいじめる側の理由だった。母親は、何かと娘がクラスメートたちと交われるようにと、誕生会にいじめ側の子供たちも招くことにした。夜遅くまでかかって母親と一緒に作った招待カードを渡しながら、母親から教えられたとおり女の子は言った。「お誕生日会に来てね」。 しかし相手の少女から返ってきた言葉は「や・だ・よ」だった。そしてその子はカードをこれ見よがしに捨てた。女の子はどう言ってよいか分からず黙って立ったままだった。それから急に目の前の女の子を両手で突いたのである。不意を突かれた少女はそのままコンクリートの廊下に仰向けに倒れ後頭部を強打した・・・。これが“事件”のあらましである。 ほかにどんな方法があっただろうか。「そんなこと言わないでおいでよ。○○ちゃん、来ないとつまんないよ」とあくまでもお願いする、「へっ、あんたなんか来なくていいよ」と悪態をついてやる。さっと無視して別な友達の所へ行ってしまう・・・。女の子はいずれの方法も取ることが出来なかった。ただ怒りだけがあった。 自分がどのように言い返したら良いか困ってしまいそうな場面が描いてある一コマ漫画。吹き出しの部分には何も書いていない。「こんな時どんなふうに言い返したらよいだろう?」。女の子と一緒に考えてみる。とっさには出てこない言葉でもゆっくり考えてみるといろんな言い方が思いつく。それらの「せりふ」を漫画の中に書き入れ、それを台本にしてロールプレイング(役割演技)をする。これまで言ったことのない言葉も使ってみる。次に役割を交換してやってみる。彼女が「いじめ役」、私が「いじめられ役」である。 こうしたロールプレイングを繰り返すうちに、彼女はこれまでの自分のボキャブラリーにはなかった表現を、たくさん身につけていった。表現が変わると人間関係も変わっていく。 はっきり言い返す言葉を獲得した彼女は、いじめをはね返すようになっていった。 |
| A 少 年 と 祖 母 の 愛 情 |
「祖母の死後、A少年の行動が変わったと言われる。少年にとって祖母はどのよ うな存在だったのか? 8年前、連続養女誘拐殺人の犯人として逮捕された宮崎勤もおじいちゃん子だったと言われる。彼もまた祖母の死後、行動が著しく変わるのである。それまで暴力などふるったことのない彼が、妹の髪をつかんで引きずり回して殴ったり、祖父の形見分けをしていた親族たちに“出て行け”と怒鳴り散らしたりする。父の髪の毛をつかんで車のドアの何回も頭を打ち当てた、とも報告されている。彼自身は、昏睡状態の祖父を見て“どうしようか、どうしようか”とオロオロし、“気が付いたら、ころっと感情を失ってしまった”と述べている。 祖父は宮崎勤にとってどんな存在だったか。彼は幼い頃から、手の障害について悩んでいた。外見的には変わらないが骨の異常のため、手のひらをクルッと回す「ちょうだい」の動作が出来なかったのである。人が何かあげようと近寄ってくると、彼の心はこわばってしまう。どう受け取ったらよいか分からない。買い物も釣り銭のないように神経を使う。しかし幼稚園では手首をくるくる回したり、手を取り合って踊るお遊戯があり、そのたびに相手の手を払いのけたりしながら、彼は友達のいない「変な子」になっていくのである。 しかし、両親は我が子がそんなに悩んでいるとは全く気付いていなかった。彼も話さなかった。彼が心を許したのは祖父ともう一人、両足が不自由で軽度の精神遅滞のあった使用人だけだったと言う。幼い頃一番よく遊んだのは?という問いに、「おじいさん」と彼は答えている。 |