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構造 ◎脳は3層構造
<1>爬虫類型の脳:
  最も古い脳。
  機能的には安定しているが、出力が弱い。
<2>原始哺乳類型の脳:
  機能的な安定度はいまいちだが、出力は強い。
<3>新哺乳類型の脳:
  機能的には一番不安定だが、出力は最強
すべての脳は、はじめ女性の脳としてつくられるが、胎児期にライディッヒ細胞の活躍でテストステロンの洗礼を受けたものだけが、男性の意識で生涯生きる続ける脳をもつことになる(岩波新書「細胞紳士録」p94〜)
つの
バランス
普段は3つの脳は協調して働いているが、睡眠時にはそのバランスが崩れる。睡眠の初期段階では、まず爬虫類型の脳の機能が低下し、筋肉が弛緩する。寝具の上にゆったりと横たわることで、身体が受ける感覚情報を最小限に抑え、明かりや音などの外部からの刺激も閉め出すことになるからだ。
こうなると、われわれの意識は爬虫類型の脳から離れてしまい、中間の原始哺乳類型の脳に移る。3つの脳の統合状態が崩れたなかで、爬虫類型の脳は最深部からの情報がなくても、自らの情報に反応するようになる。これが夢を見ている状態だ。
この時期の睡眠はレム睡眠と呼ばれるが、さらに深い眠りに陥ると、われわれの意識は原始哺乳類型の脳から新哺乳類型の脳に移る。レム睡眠の時にはあった眼球運動や身体の動きも止まって、筋肉はいっそう弛緩する。
この状態がしばらく続いた後、新哺乳類型の脳のスイッチも切られてしまう。こうした、意識はどこの脳にもなくなり、3層のシステムは全自動のような状態になり、もっとも深い睡眠状態に達する。
その後再び、それまでのプロセスを逆にたどって、覚醒状態に戻り始める。
以上の周期が何回か繰り返され、最後に極めて活発な統合状態が脳によみがえり、われわれは目が覚める。この睡眠と覚醒の周期は、ふつう片道が45分、往復で90分とされている。ところが、睡眠学者のクレイトマンによれば、この「統合と崩壊の90分周期」は目覚めている時にも存在しているという。この周期を彼は超日周期と呼んでいる
乳児 2種類の脳を持って生まれてくる
「大脳が右半球と左半球とに分かれていることは誰でも知っている。右脳と左脳である。大脳とは、3つの脳のうつ表面にある新ほ乳類型の脳だ。もちろん左右が独立しているわけではなく、両者は「脳梁」によって神経的にしっかりとつながっている。ただしこれは、成人の場合だけで、あまり知られていないことだが、乳児期には左右の新哺乳型の脳は分離したままである。しかし、分離はしていても、どちらもその深部にある2つの古い脳とは連絡し合っている。 右脳と左脳が機能的に大きく違ってくるのは、脳梁が完成して両半球がつながってからのことだ。それまでは、左右の脳は同じことをしている。それは、古い2つの脳が集める情報を、せっせと蓄えているのです。
爬虫類型の脳と原始ほ乳類型の脳は、乳児期には、自分を取り巻く世界の知識をせっせと思い出している。なめたりしゃぶったり、ニオイを嗅いだり、握ったりしながら、外界を思い出していくのだ。そして、分離したままの新ほ乳類型の脳も、この時期にはこの作業に参加する。
 脳梁が作られ始めるのが1歳ごろから。次第に発達し、4年ほどかけて両半球をつなぐ。そして、この連絡部分が完成すると、左右の脳はそれぞれの役割を目指して専門化し始めるのです。
 この段階になると、左右の脳と古い脳との関係は一変する。それまでは一体となって体験を通して外界の知識を思い出していたのが、古い2つの脳から独立して、左右は相互に作用し合うようになります。こうして新ほ乳類の脳である右脳と左脳が独立すると、抽象的に物事を考えることができるようになり、人間らしい思考能力が発達し始めます。つまり乳児は2つの脳を持って生まれてくる。1つは白紙の状態の新ほ乳類型の脳と、もう1つは遺伝情報を満載した爬虫類型と原始ほ乳類型の脳です。
●なぜ、こんな仕掛けが必要なのか?
白紙の状態とは、書き込み自由な状態である。新ほ乳類型の脳が白紙ということは、そこに自由に情報を書き込むことが出来、新たに構造化するために白紙になっている。
爬虫類型の脳と原始ほ乳類型の脳にあらかじめプログラムされている情報は、あまりにも膨大で、それは人類へと進化するまでの長い時間に獲得されたデータが保存されている。そこから、乳児が特定の細かな情報を引き出すにはどうすれば良いのか?。それは身体を動かすことです。ひっきりなしに体を動かすことで、乳児は潜在能力として持っている人類としての遺伝情報を活性化し、鮮明になっていきます。
例えば、ダウン症の子供の治療に使われる『パターニング』と呼ばれる手法もこの応用です。
しかし、この人類としての遺伝情報が、古い2つの脳のなかにとどまっている間は、人間にはなれない。いつまでたっても動物のように、その情報は反射的で本能的な行動パターンをもたらすだけです。
しかし、表層の新ほ乳類型の脳が白紙の状態で生まれるということは、同時に我々に重要な問題を突きつけている。それは乳幼児の知的発達が、大人たちの対応次第で、大きく左右される可能性を意味しているからです
幼児
の脳
周囲の世界をどう受け入れるか?
「出生後2ヶ月を過ぎると、乳児は音のする方向に首を回したり、手足を激しく動かしたり、指を吸ったりし始める。4ヶ月ごろには、近くのガラガラに手を伸ばし、つかんで振ったり口に入れたりする。
6ヶ月を過ぎるころには、「ハイハイ」をするようになる、これが始まれば、乳児の外界探索はいよいよ活発になる。自分から感覚刺激を求めて動き回るからだ。
「ハイハイ」を始めた乳児の目の前にボールを転がすと、這ってそれを取りに行く。そして、乳児はボールの感触を確かめたり、眺めたり、なめたり、ニオイを嗅いだりする。このふれあいを通して、最終的には乳児の脳の神経回路にボールの波動パターンが組み込まれる、脳ホログラフィー理論で言えば、ボールの波動パターンが脳内で活性化されるのである。
これが済むと乳児は、その後は、ほかのボールを見てもそれほど注意を集中することなく、それが分かるようになる。つまり、脳がボールというものをすんなりと受け入れ、確認出来るようになる。
このことは、乳児の脳がボールの情報を同化するパターンを持ったということであり、ふれあいによって得られた波動を、脳がパターン化したのだ。その結果、乳児はボールという概念を持つことになる。だが、その概念は固定したものではなく浮遊するものの世界で、見えないものは考えられない世界なのです。
そして、乳児期の終わりに近づくと、このような概念の蓄積量が臨界量に達すると、どうなるのか?生後1年を経過した頃から、突然、劇的とも言える「論理の飛躍」を幼児の脳は行うことができるようになる。その飛躍とは、見えないものを考えることができるようになることだ。
1歳を過ぎた幼児は、目の前にあるボールをテレビの後ろに隠すと、それを探そうとする。目の前から無くなると、乳児の時にはすぐ別のものに注意を奪われたのに、テレビのところへ行って消えたボールを探すのである。
つまり幼児は、ボールが見えなくとも、どこかにあるのだと思うようになる。
幼児が最初の頃に覚えるいくつかの言葉の中には、「ナイ、ナイ」という単語が含まれている。見えないものを考える大きなステップであり、これによって幼児の論理は最初の柔軟性を獲得するのである。
幼児期では、外界と関係するときに原始哺乳類型の脳に意識の中心がある。ここの脳が活性化されることによって、最深部の爬虫類型の脳と表層を覆っている新哺乳類型の脳との交信の仲介役を果たしている。つまり、最深部の爬虫類型の脳が外界とのふれあいで発見したことは、中ヘの原始哺乳類型の脳で処理され、その情報は新哺乳類型の脳に供給される。この情報には、発見対象の感触と、その対象に対する自分なりの快不快、または好き嫌いの反応が含まれている。
両半球が分離したままの幼児期の間は、表層部の新哺乳類型の脳は2つの脳から送られてくる様々な概念の蓄積に没頭している。しかし、脳梁が発生し、意識の中心が原始哺乳型の脳に移る頃になると、新哺乳類型の脳は、さきにあげた2つの脳からの情報を明確に区別できるようになる。発見対象の感触と、その対象に対するじぶんなりの反応の2つを区別し、解釈できるようになる。いわば情報の組織化が始まる。
それによって幼児は、自分の身体とそれ以外のものが違うことに気づく。自分の指を噛めば痛いが、食べ物を噛んでも痛くないと分かってくる。噛んでいたいのは自分なりの反応であり、痛くないのは食べ物の感触だからだ。つまり、最初の自己感覚が生まれ始めるのである。これこそが自我の芽生えなのです。
幼児期に最も大切なのは、親が大人の価値観に基づいて、幼児の触れあいの機会を取り上げてしまわないことだ。なぜなら、幼児期の6年間はありのままの世界に関する概念を蓄積する時期なのだ。それが幼児にとっての最優先課題であり、この時期の知的発達そのものとなるからだ。足下が頼りなく、すべてに無防備な幼児は、簡単に転んでは擦り傷を作り、熱いものに触れてはヤケドをする。世界はひたすら実践の場となる。この時期に「汚いから」とか「危ないから」とかいって、幼児の触れあいのチャンスをつぶすのは、次の7歳からの知的発達段階がきわめて問題多いものとなる
ロボット シャープの芥子育雄システム開発センター技師長補(45)が作ったコンピューター「リッキーくん」は学習する。まず、2万語の言葉をリッキーに入力。次ぎに2年分の新聞などを半日かけて読み込ませる。すると最初の2万語をもとに、新聞に出てくる意味を類推、自動的に20万語以上を覚えた。日本人の平均語彙数は10歳児で約2万語、成人で約5万語。リッキーはわずか半日の学習で、ヒトの一生分を上回る言葉を自ら学び取ったことになる。リッキーは言葉を覚える時、200以上の関連事象を同時に記憶する。「家族」という言葉なら、「人」「関係」「温かい」などと一緒に覚える。新聞に「子供」という言葉が出ると「家族」との関連で意味を類推する。「ヒトが言葉を覚える仕組みを取り入れた
機械に
限らない
ヒトの脳を置き換えるのは機械に限らない。
米シリコンバレーにあるバイオベンチャーのステムセルズ。再生不能と言われる脳の神経細胞を培養、パーキンソン病の治療に役立てようとしている。
神経細胞に育つ幹細胞を中絶胎児から摘出。ネズミに移植したところ、ネズミの脳にヒトの神経細胞が根を張りだした。脳が小さいため、ヒトと同水準の知能を持つとは考えにくいが、大半がヒトの脳細胞になる可能性がある。機械が脳を代替、バイオ技術が脳細胞を再生する。人類は人体を複製するクローン人間を生だしつつあるが、今度は「肉体」だけでなく、「精神」を司る脳の創造にまで踏み出そうとしている
自由意思 も脳が支配
私たちが自由意思で手を動かす「随意運動」を想像してほしい。
実際に手を動かす前から脳には活動が現れる。この活動は脳波として記録でき「運動準備電位」と呼んでいる。
問題にしたいのは「手を動かそう」という意思と脳の活動との前後関係だ。もし、脳とは別に独立した何か(魂か霊?)が、脳の活動を引き起こし、随意運動が現れるとしたら、「手を動かそう」という意思は、脳活動に先立つはずだ。
 この前後関係を注意深く実験した研究の結果によると、脳活動が始まってから0.1秒ほど後に、「手を動かそう」という意思が意識されることが分かった。
 「後に」であって「前に」ではないのだ。
実験の方法などに多少の批判はあるが、少なくとも「自由意思」が脳の活動であることは間違いないし、それは脳がある程度活動しなければ現れないということははっきりしている。
思えば当たり前のことで、例えば麻酔によって脳の活動が極端に抑えられれば、自由意思など現れないことは明らかだ。又、毎朝経験しているように、目覚めてから脳の活動がある程度高まらねば、「起きよう」という意思は生じないではないか。
要するに、意思は脳の活動を後追いする訳だ。
自由意思を作るのは、脳の活動であって、その逆ではない。
 しかも、少なくとも運動に関しては、脳には自由意思に深く関係する特別な場所があることが分かっている。大脳の上の方の「補足運動野」。この領域は自発的な随意運動に伴って活動し、自発運動に数秒ほど先だって活動し始めるニューロン(神経細胞)がここに存在することが分かっている。
 では、そもそも補足運動野を活動させ、「自由意思」を起こさせる実体は何なのだろう。此の点に関してはまだ十分に分かっていないが、それはおそらく 「前頭連合野」である。というのは、前頭連合野は直接・間接的に補足運動野に影響を与える立場にあるし、又、前頭連合野にダメージがあると、まさに、「やる気が起こらない」という状態になったりするからだ。
自由意思の問題は、前頭連合野を中心に調べていけば、おそらく、ニューロンレベル、さらにはニューロン活動を支える物質レベルで解き明かされることになるはずだ。
(澤口俊之・北海道大学文学部助教授)
脳幹の
神経細胞
「富山医科薬科大学のグループは、脳の一番奥にある「古い脳」の神経細胞が記憶や予測などの高次機能を持つことを発見した。光や音の刺激の後に褒美がもらえるのを学習したラットの神経細胞がパターンを記憶、褒美を予測して働きが高まる様子を観察することに成功した。脳の機能の解明につながり、人工知能の開発などに役立つとされる。
高次機能を持つことが分かったのは、脳幹にある「感覚系視床」という部分の神経細胞。従来は、視覚や聴覚など感覚の情報を伝達する経路と見られていた。富山医薬大の小野武年教授と東京大学大学院生の小村豊氏らは、光や音の刺激を与えて数秒後に砂糖水などの褒美を与える実験をラットで試みた。与える刺激や褒美の有無・量などをいろいろかえて覚えさせ実験した。
その結果、感覚系視床の神経細胞は刺激を受けるとすぐに反応し、数秒後の褒美がもらえる時間に合わせて再び働きが徐々に高まっていくことがわかった
局在論

全体論
宇宙ホログラム
「局在論」:記憶や感覚・知覚、運動などの機能は、それぞれの中枢が脳内に分散しており、そこで分業が行われていると考える。
「全体論」:
脳の様々な機能は、局所ではなく脳全体に分布すると考える。ホーリズムとも呼ばれ1940年代にアメリカのラシェリーによって唱えられた。
記憶中枢はどこにあるのか?という研究で、初め局在論の立場をとっていたラシェリーは、脳の中枢は脳のどこか一部分にあるはずだと考えていた。そこで彼は、ネズミに迷路学習をさせた後、そのネズミの脳の一部を切り取り、再び迷路を走らせるという実験を行った。もし、切り取った部分に迷路学習の記憶が残っているなら、ネズミは同じ迷路を走れないハズである。こう考えたラシェリーは、無数のネズミを使って、脳の様々な部分を切り取り、実験を繰り返した。しかし、結果は意外なものだった。脳の一部を切り取られたネズミの行動が少しばかりおかしくなることはあっても、迷路学習の記憶が消えてしまうということは全くなかった。それどころか、脳の80%を切り取られたネズミでも、ちゃんと迷路を走り抜けたのだ。
この実験結果をどう考えるのか?
少なくとも記憶に関する限り、その機能は脳の一部に局在しているのではなく、何らかの方式で、脳全体に分布しているとしか考えられないと、そこから、全体論に取り組んだ。
彼の研究グループに参加していたプリブラムも、サルやチンパンジーを使って実験を続けた。しかし、ネズミと同じ実験結果が繰り返されるだけだった。記憶が脳全体に分布しているのは間違いないのだが、その方式が分からなかった。それから20年近く経ってから、レーザーホログラフィーが成功した。
ホログラフィーとは、光の干渉性を使って物体の三次元的像を作り出す装置です。その方法は、まずレーザー光のような干渉性の高い光を半透明の鏡で2分割し、半分はカメラのフィルムにあたるホログラムに直接届くようにする。もう半分の光は、被写体を照射した後で、やはりホログラム上に先ほどの光と合流するようにする。
すると、光源からストレートに届いた光波の一方と、被写体に照射されて変調したもう一方の光波とが、ホログラム上で作用しあい、干渉縞が出来る。それはただの縞模様で、ちょうど水面に油滴を落としたときにうまれるような模様に過ぎない。しかし、でたらめな模様ではない。そこで、このホログラムに最初のレーザー光と同じ光波を照射すると、干渉縞に織り込まれていた元の被写体の立体像が空間に浮かび上がる。
ホログラムは空間に立体像を浮かび上がらせるが、実は、もっと驚くことがある。それは、カメラのフィルムの場合、半分に切って現像すると、被写体は半分しか現れない。しかし、ホログラムは半分にしても、さらに半分にしても、どんなに小さく切ってもその断片に光を照射すると完全な3次元の立体像が現れる。小さく切れば切るほど立体映像の鮮明度は落ちるが、全体像が現れることに変わりはない。
→「
人体は小宇宙」と同じ意味合いを持ちます。
また、フラクタル図形であるマンデルブロ集合やコッホ曲線も同じように、拡大しても縮小しても同じ形が現れまる。これらのことを「自己相似性」と呼んでいます。相似性は、漢方理論の根幹をなすものでもあります。」
















◎ベケシーの実験:
「ハワイ大学のベケシーが行った実験は、われわれがどのようにして空間内の物体を知覚するのかしらべたものです。ベケシーはそのために一対のバイブレーターを用意し、実験に協力する被験者の手足の様々な場所に、左右対称に取り付け、反応を調べていった。
両足に取り付けた場合、被験者は初めのうち、バイブレーターの振動を左足の装着カ所に感じたり、右足の装着カ所に感じたりしていた。振動の感覚が、左右の足を飛び跳ねるように交互に移動すると言っていた。
ところが、しばらくすると奇妙なことが起こり始めた。その感覚が左右の足からではなく、中間にあるように感じられはじめたのだ。中間とは両足の間の空間のことだ。何もない空間からバイブレーターの振動が伝わってくる。これは手足のどの部分に取り付けても同じ結果だった。
ベケシーはさらに実験を続けた。すると、同じようなことは触覚だけでなく、聴覚でも視覚でも起こることが確認できた。彼はこれらの実験結果から、脳が持つ特殊な機能にその原因があることを突き止める。
その機能とは、感覚器官からのインプット情報が中枢の脳で処理されるときの、抑制的相互作用というものだ。

◎ボームも宇宙は1つの巨大なホログラムであると考えた。
「まず、大きなガラス製の円筒の中に小さなガラス製の円筒を入れる。代償の円筒の間隙にはグリセリン液をたっぷりと注入する。そのグリセリン液の上に不溶性のインクを1滴たらし、外側の円筒を時計回りの方向にゆっくり回す。
すると、インクのしずくは次第に糸のように細長く引き延ばされていく。外側の円筒をさらに回転させると、インクはついに見えなくなってしまう。
ここまでのプロセスで何が起こったのか?
インクの1滴は、細かく見ていけば微小な集合体と言えるだろう。だからそれぞれの粒子は、外側の円筒を回したことで回転するグリセリンの速度に乗って運ばれていく。
グリセリンの回転速度は、円筒の中心からの半径によってそれぞれ違ってくる。したがって、インクを作る微粒子も、グリセリン液のそれぞれの速度に乗って異なった距離を移動することになる。つまり、次第に分散していくのだ。最後には見えないほどに散らばってしまう。
では、今度は外側の円筒を逆回転させてみよう。どうなるか?
見えないインクが糸状に引き延ばされた形で現れ、やがてもとのインクのしずくに戻るのだ。これは何を意味するのか?
ボームによれば、これこそが「秩序」なのである。微粒子の集合体であるインクの1滴が、回転するグリセリン液のなかに織り込まれて見えなくなっても、依然として、それらの粒子は元のしずくとして何らかの秩序を保ってグリセリン液のなかに存在している。
さらに、今度は、3滴のインクをさっきと同じ手順で、1滴づつ順番にグリセリン液のなかに織り込んでいく。
そして、どのしずくも見えなくなったとき、円筒を逆回転させてみる。どうなるだろうか?
まず、最後に織り込んだしずくが現れる。3番目のしずくだ。さらに逆回転させると、2番目のしずくが出現する。しかしこのとき、さっき出現したしずくは円筒が回転しているので再びグリセリン液の中に消えてしまう。そして、一番最後に織り込んだしずくは、まだ織り込まれたままだ。つまり目に見えるのは、2番目のしずくだけとなる。
この3つのしずくは、実は我々の常識的な時間感覚である過去・現在・未来を現している。そして、しずくを再現させる「開示された秩序(逆回転によってしずくが再現されるのを、ボームはこう呼んだ)」のなかでは、過去・現在・未来の3滴のインクはそれぞれが独立して存在するように見える。
しかし、見方を変えるとどうなるか?
2つのしずく、つまり過去と未来のしずくは「織り込まれた秩序(最初の回転のインクが消えていく動きをボームはこう呼んだ)」に中にある、その意味では、目の前にある現在のしずく以外の2つのしずくも間違いなくそこに存在するのだ。
確かに、目に見えるのは現在のしずくだけであり、「開示された秩序」だけだが、どんな地点でも、過去の事象と未来の事象が浸透し合って液の中には存在している。
ボームは、「開示された秩序」のエネルギー(情報)の奥に潜む、この「織り込まれた秩序」のエネルギー(情報)こそ、現実の本質であると主張する。
そしてわれわれの脳はこの「本質」のホログラムの一部であり、本質と共鳴師合って意識の振動を生み出すと主張する。
量子力学が明らかにしたのは、存在の不確定性である。あらゆる実体は客観的に独立して存在しているのではない。非実体的な無数の波動によってつくられている。このことは、宇宙のすべての実体に当てはまる。
そうだとすれば、宇宙は必然的に1つの巨大なホログラムと考えてもおかしくない。なぜなら、相交わる2つ以上の波動があれば、干渉縞のホログラムが形成されるのである。その結果、交差する無限の波動に満ちた宇宙が1つのホログラムとなるのは当然である。そして、ボームはそれらホログラムの断片に、宇宙の全時空に関する情報がすでに含まれていると主張する。全時空の情報とは、宇宙の始まりから遠い未来までのすべての情報だ。それが、脳を含めた宇宙のあらゆる部分にあらかじめ織り込まれていると主張する。
ボームによれば、エネルギー(情報)と意識はイコールなのだ。意識はエネルギー(情報)になって現れる
脳の不思議 目の前の物が見えない
◎事例1:
1520年、世界一周を目指すマゼラン一行が、南米最南端のフェゴ島に到着し島の湾内に大型帆船4ミを停泊させて上陸した。ところが、フェゴ島の住民たちの目には、湾内に停泊している4ミの大型帆船が映らなかった。そのため、マゼランたちがどのようにしてフェゴ島にやってきたのか分からなかった。
フェゴ島の住民たちはカヌーしか知らなかった。彼らの意識には大型帆船が存在しない。存在しないものは見えないのです。この事実は、その後何度目かのフェゴ島の再訪の時、島民がマゼラン一行に語ったことから分かった。
◎事例2:
「今まで登山経験がないA氏が、旅行社から送られてきたパンフレットに心を動かされヒマラヤに出かけた。ネパールに入ってからは悪天候で、山々は雲に隠れていた。やがてコースの中でも一番標高の高い村に着いた。そこからはヒマラヤの峰々がすぐ目の前に迫ってみえるとパンフレットには書かれていた。
その日の朝のことを思い出すたびに、A氏は不思議な気分になる。それは、ツアーの仲間10数人と一緒に小高い丘に登った時のことだった。すぐに大きな歓声がわき上がり「すごいな」とか「高いなあ」と感嘆の声があがっていた。
しかし、A氏には何も見えなかった。目に映るのはわき上がるような霧と、その上に広がる雲だけだった。みんながため息混じりに見つめる方角を、彼も必死になって目を凝らすのだが、やはり何も見えなかった。視力には自信があるのに、A氏の目に映るのはぼんやりとした雲だけだった。
A氏は不安になり、不愉快な気分でいると、ツアーの同行していた現地ガイドが「どうしました?」と声をかけた。
A氏は正直に答えた。
「みんながあんなに感動しているのに、私には何も見えないんです」
ガイドはにっこり笑ってうなづいた。
「あなたのような方が、神を見るのです」
そしてA氏の肩に手を置き、雲の中を指さしてこういった。
「もっと高く、もっと大きな山があそこにあると想ってください。」
ガイドが指さした方角を彼は仰ぎ見た。愕然とした。まったく突然に、途方もなく大きく、高い山が現れたからだ。それは、ほとんどA氏の視界一杯に広がる山だった。A氏が雲だと思って眺めていたのは、雪に覆われた山肌だったのだ。
クオリア 色ない場所に色つくり出す
「私たちの心の中には、様々な質感を伴った感覚があふれている。例えば、リンゴやトマトのように赤いものを見たとき、私たちの心の中には「赤い色の質感」が感じられる。テナーサックスの音は、甘い艶やかな質感として感じられる。このように私たちの感覚を特徴づけるユニークな質感を『クオリア』という。
近年、心と脳の関係を考える上で、クオリアは最大の難関であると認識されるようになった。クオリアを生み出しているのは、私たちの脳の中の神経細胞(ニューロン)の活動という、物理的現象に過ぎない。一方、私たちの心の中の「赤い色」や「テナーサックスの音」のクオリアは脳を構成する物質の属性の「質量」や「電荷」などとは似ても似つかない、ユニークで鮮明なものである。
私たちのこころの中のクオリアと、脳の中のニューロンの活動などの物理的プロセスの管には、どのような関係があるのだろうか。これは、哲学上の大問題でもあると共に、意識を問題にし始めた脳科学にとっても重大な問題である。
クオリアは、脳の情報処理メカニズムの本質とも深く関わっていると考えられる。世界初の電子式コンピューターの開発から半世紀間に爆発的に発達したコンピューターの中の情報は、1つ1つ個性を持たない「ビット」から成り立っている。それに対して、私たちの心の中に感じられるクオリアは、1つ1つが他と間違いようのない「個性」を持っている。
このような個性の背後には、クオリアを生み出す脳の情報処理過程が圧縮されている。クオリアは情報処理の結果をユニークな個性に圧縮して提示する。私たちの脳に埋め込まれた自然のテクノロジーの表れである。脳の中でどのように情報が処理されているかを本当に理解しようと思ったら、クオリアを避けて通ることは出来ない。
クオリアは外界からの入力だけによって生じるわけではない。私たち自身がクオリアをつくり出すこともできる。実際、様々な心理実験の結果から、私たちは外界からの情報を単に受け取ってクオリアを感じているのではなくて、むしろ、能動的にクオリアをつくり出しているということが分かってきている。例えば、均一な色の中に徐々に白くなる小さな丸い領域があると、白い領域まで色が付いて見える「書き込み」という現象が知られている。私たちの脳が、「均一な色が周囲にある以上、色のついていないところにも色がある方が最もらしい」と判断して、色の無いところにも色のクオリアを「つくり出して」しまうからである。
私たちの脳の「能動的」なプロセスと感覚器からの入力を処理する「受動的」なプロセスが出会うたびに心はクオリアを感じるようなのである
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