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対話ができない


一見神妙、
矛先かわす
「“わかりました”“すみません”。若者たちに説教した途端、こんな神妙な答えが返ってきて満足してしまう大人たちが多いのではないだろうか?・・・・・。
山梨医科大学の渋谷昌三教授(心理学)はそんな若者たちの反応を、実は相手の矛先をかわすための[肩すかし]の術と分析する。こうした言葉をなぜ彼らたちが多用するのか報告してもらった。
言葉と行動が不一致
例年、進級が危ぶまれる学生と話す機会がある。私が一通り話し終えると、即座に“わかりました”と返答する学生と、その言葉がなかなか出てこない学生に分れる。
おもしろいことに、話を聞き終わるやいなや“すみませんでした”“わかりました”と答える学生は、結局、落第点を取る傾向がある。一方、長い時間をかけて話し合った後で、やっと“わかりました”と言う学生は、気持ちを入れ替えて勉強に身を入れるようになる。
“すみませんでした”“わかりました”は相手の出鼻をくじく。すぐさま出てくるこれらを私は「肩すかし語」と名付けている。こうした言葉を使うことで、学生は率直で、柔順な姿を演じる。対する教師は肩すかしを食って、攻撃心がなえ、要領は得ないが“しっかりやりなさい”などと言ってやりとりは終わる。
肩すかし語は他にもある。“これでいいですか”と尋ねると“別に”と答える。これは「意見を述べるのが面倒だから、別の意見はないことにしょう」の意味だろう。
こうした言葉が広がる背景には、若者たちと、教師や親、上司ら大人たち双方が、互いを「期待しない」気持ちがある。若者は「意見を言っても、まともに効いてくれないだろう」と、大人に期待せず、一方、大人たちも「取るに足らない意見だろう」と若者たちに期待しない。
そこには「真剣に話を聞き、それに答える」という経験の欠如がある。互いに交わす会話の多くは情報交換の域を出ないものであり、感情移入の対話が回避されているケースが多い。
●煩雑な人間関係きらう
どうして感情移入に対話が回避されるようになったのか?
--理由は3つ考えられる。
(1)時間に追われる生活を余儀なくされ、対人関係に割ける時間そのものが減少していること。
(2)コンピューターや家電品などによる迅速で明快な対話が多くなり、冗長で煩雑な対人関係を嫌う風潮が見られること。
(3)特に、対人関係をはぐくむための社会的スキル(技法)を使う力が低下していることだ。
例えば、好きな人がいたときには、“好き”と口にする。視線を合わせる、ほほえむ、といった社会的スキルを駆使することで、自分自身の期待をその相手に伝えることが出来る。このスキルは、ケンカしたり、対立したり、競争したりする、ネガティブな対人関係を通して学習する子とが出来る。
『ピグマリオン効果』をご存じだろうか。ギリシャ神話に登場するキプロス王ピグマリオンは、自分が彫った象牙の女性像に恋をする。この願いが通じて、女性像が現実の女性となり、結婚することが出来たという話で、それになぞらえて、期待し続けると、その相手がいつかその期待に答えてくれるという現象をこう呼ぶ。ある心理学の研究では、教師が「将来、学力が伸びる児童である」と期待して授業をすると、その児童の能力が上昇することが分かっている。
心から期待して応対すると、その相手の気持ちが動き、当人がその気になることがわかる。ピグマリオン効果が働くと、肩すかし語が使えなくなる。
●会話重ね改善を待つ
私は、学生が肩すかし語を使った時には、ピグマリオン効果を期待して、きっちり咎めることにしている。“わかりました”と答えたら、“何がどのように分かったのか”と問い返す。“すむませんでした”と言ったら、“どこがどのように悪かったのか”と尋ねる。
こうした対話を繰り返しているうちに、お互いが真剣に向き合うようになってくる。時々、涙ぐむ学生がいるが、悔し涙ではなく、「期待されて、うれしい」という涙なのである。
近年、親と子、教師と子供たち、上司と部下、友人との間で、うわべだけの仲良しが増えている。こうした関係は、社会的スキルの低下を招くだけでなく、肩すかし語を多用して、感情移入の対話を避けようとする対人関係を助長していると思われる。
「じっくり時間をかけて、ガツンとぶつかり合う」という、損なわれた素朴な対人関係を取り戻すことが、今後に期待される身近な課題である」
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